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母の闘病-がんセンターへの転院

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スキルス性胃がんに対する治療はまったくされないまま母の入院からすでに1ヶ月半が過ぎ、8月も終わりに近づいていました。

東京のがんセンターのセカンドオピニオンには母も一緒に連れて行ったため、患者も一緒なら診察をとのことであらためて受診をし、地元のがんセンターとほぼ同様の説明を受けました。
このころの母の状態はかなりよく、がんセンターの医師からはまだ末期ではなく、余命2ヶ月ということはないと思うと言われました。

私は母の入院先の病院に通って足もみを続けていました。
尿はかなりたくさん出ていて、腎不全もよくなっているのでは?と思いましたが、透析治療は継続されていました。

東京のがんセンターの診断結果で母も決意を新たにし、セカンドオピニオン翌日から地元のがんセンターで抗がん剤治療がはじまりました。
その翌日最初の病院を退院。透析治療は継続されました。

ところが、このわずか数日後のことです。
静岡から母のお見舞いに来ていた母の妹が母の透析に同行したおり、さすがに何かおかしいと思って、医師に今の母の状態を問いただしたところ、クレアチニンの値は1.29mg/dlまで下がっていると言われ、急遽透析が終了しました。
これには、家族全員あきれはてましたが、それでも病院では利尿剤(ラシックス錠を朝、昼1回5錠ずつ)を継続して服用するように処方され、母はそれを飲み続けました。
尿は多量に出ていたのですが。

その後、市内の病院から尿の量をはかるため、1日の尿をためるよう言われ病院にもって行きました。1日の尿の量は1900mlあったのですが、引き続き利尿剤を服用するように言われ、まじめな母は利尿剤を飲み続けました。
ひどい吐き気、のどが渇き、食べものは少量しか食べられず、水もあまり飲めない状態が続きました。
嘔吐は抗がん剤の副作用かと思っていましたが、それにしてもおかしいと思っていました。

透析終了から1週間後、夜に水状の下痢と嘔吐があり、体重も減少。
父はその翌朝、母をがんセンターに連れて行きました。
たまたま病室に空きがあり、母はまたもや緊急入院。電解質(カリウム、ナトリウムなど)の点滴を多量に投与されたところ吐き気はなくなり、食事も普通にとれるようになりました。
クレアチニン値は正常になり、がんセンターの医師の判断で利尿剤その他の薬もすべて中止。
その後1週間ほど入院しましたが、母はすっかり元気になって、がんセンターの食事を美味しい美味しいと毎食完食していました。

結局のところ、ここまで母の体調が悪かったのは、がんのせいでも、腎不全のせいでもなく、病院から処方された利尿剤により強制的に水分を身体から搾りとられた挙句の電解質の不足によるものだったのです。

それにしても、今考えても市内の病院のこの対応はひどいものです。
後日いろんな方に意見を聞きましたが、ラシックス錠を朝、昼1回5錠ずつというのは普通に考えても多すぎると言われました。
病院の言うことをすべてそのまま真に受ける怖さというのもこのとき思い知りました。
それに対して、このときのがんセンターの対応には感謝してもしつくせないものがあります。
このときの主治医はあくまでも市内の病院の先生でしたし、断られてもしかたない状態での入院でしたので。

もちろん、母ががんセンターに入院している間も私の足もみは継続していました。
足もみの勉強も仕事と母のお見舞いの合間を縫ってゆっくりと続けていました。
そして、この後クレアチニン値はあがることもなく、ただ、母の腕には透析のためのシャントのみが残されたのでした。
大学病院から宣告された余命2ヶ月をこえ、最初の入院からちょうど2ヶ月たった、9月のはじめのことです。

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母の闘病-セカンドオピニオン

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母が市内の病院に入院して数週間、がんの治療をまったくしてくれない病院の対応に業を煮やした私は、セカンドオピニオンを受けるよう、両親に強くすすめました。

そのころはまだセカンドオピニオンという言葉は今ほど一般的になっておらず、両親は、特に母は、そんなことをしたら今の病院の先生に悪いと言って抵抗しました。
しかし、そんなことが言っていられる状況ではありません。
私はインターネットや本でスキルス性の胃がんについて調べ、それが非常に悪性度の高いがんであることがわかってきていました。
そして、セカンドオピニオンも患者の当然の権利であり、ちゃんとした病院なら協力するはずだということも調べて、セカンドオピニオンを受け入れている病院のうち、胃がんの治療に長けている病院をいくつかピックアップしました。

そのうちのひとつは静岡県立がんセンターでした。当時静岡県立がんセンターにいらした米村医師は現在でもスキルス胃がんと腹膜播種治療の第一人者です。その情報をインターネットから得た私はその選択も両親に伝えました。両親の出身は静岡で親戚もたくさんいるので、それもよいのではと思ったのですが、遠すぎるということで断念しました。

もうひとつは、東京にある統合医療の病院でした。
スキルス性胃がんについて調べていくにつれ、西洋医療のみの治療に疑問を持った私は、できれば西洋医学以外の治療の選択についても考えてほしいと思っていました。
そこでその病院のセカンドオピニオンを両親にすすめ、一度は予約もとったのですが、結局遠いこともあってあまり乗り気でなく予約はキャンセルしました。

まだ母は渋っていたものの、有名病院のセカンドオピニオンは待ち行列が長く、予約をとってもどちらにせよ1ヶ月近く待たされるということがわかったので、東京のがんセンターと地元のがんセンターのセカンドオピニオンの予約は押さえておきました。
地元は近いし、東京のがんセンターなら両親も納得するだろうと思ったからです。

そして、入院からちょうど1ヶ月たった8月のはじめ、最初に予約がとれた地元のがんセンターに父とセカンドオピニオンを受けに行ったのです。
そこでも大学病院と同様の所見で、すでに腹膜播種がみられるため手術はできないという判断でしたが、透析をしながらの抗がん剤治療もできないことはないと言われました。
少し希望が見えた気がしました。

次の週、今度は母も連れてがんセンターに説明を受けに行きました。
市内の病院ががんについてなんの治療もしてくれないことに不安になっていた母は、翌週からその病院で抗がん剤治療を受けることに同意しました。
ところがあろうことか、入院中の病院の医師に猛反対されたのです。どうせならもう一ヶ所のセカンドオピニオンも受けたらどうかと勧められました。
どうやら、抗がん剤治療を受けさせたくなかったようなのですが、なぜなのか理解に苦しみます。
その医師は母に対しては抗がん剤治療なんてやったら死にますよとまで言ったようです。
それに対し、母は、でも、このまま治療しなくても死ぬんでしょ?と言っていました。
それでも入院中の病院の先生をまだ信頼していた母の決意はそこで大きく揺らぎ、さらに2週間先に予約がとれていた東京のがんセンターのセカンドオピニオンを受けることにしました。
それまで、がんについては無治療・・・。
8月もおわりに近づいていました。

このころ私は、足もみの勉強を本格的にすることを決意し、足もみの先生のところに資格取得のため通いはじめました。
その合間に母の入院先に通って母の足もみは続けていました。

母の突然の入院

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7月のはじめ、母が突然入院したと、父から連絡がありました。

しばらく前から調子が悪かったのに病院に行かず、しぶしぶ市内の病院に人間ドックを受けに行ったところ、クレアチニンの値が4.5mg/dl(正常値は0.5~1.2mg/dl)あり、急性の腎不全と診断され緊急入院したというのです。
母は健康なのが自慢で65歳まで病気らしい病気をしたことなく、風邪もあまりひかない人でした。
その後、クレアチニンの値は9.0mg/dlまで上がり、危険な状態であるとの診断で透析治療がはじまりました。

入院から1週間後、人間ドックの結果が出て、胃のレントゲン結果に異常が見つかりました。
胃の形が変形していて、胸水、腹水もみられるとの所見です。
胃カメラをした結果、スキルス性の胃がんであるとの診断を受けました。

スキルス性の胃がんは、胃がんの中でも特別な進行をするたいへん悪性度の高いがんです。
がん細胞が胃壁の中で広がって粘膜の表面には現れないため、診断がついた時点ですでに他に転移していることが多いのです。(特に腹膜播種を起こしやすい)
アナウンサーの逸見さんの壮絶な闘病で有名になったがんでもあります。
ちなみに逸見さんの執刀医である前田外科病院の院長先生には私が若いころ盲腸にかかったときにお世話になりました。たいへん丁寧な手術をなさる方のようで、術後の傷口がとてもきれいで、どこを縫ったのか一見してわからないほどでした。

さて、母の場合まだ早期で手術が可能であるということで、県内の大学病院を紹介されました。
さらに腎機能が回復しないため、内シャント手術を病院からすすめられ、手術を受けることになりました。この手術、実は時期尚早だったのですが、この病院の先生を信頼しきっていた母は言われるがままに手術を受けてしまいました。
同じころ父が紹介状を持って大学病院に行ったところ、癌がすでに腹膜まで広がっているため手術はできない、腎機能が悪いため抗癌剤治療もできない、手のうちようがないといわれました。
そして余命2ヶ月と宣告されたのです。

そのころ、私はくだんの足もみやさんに週1回のペースで通いはじめていました。
母の入院と病状を父から聞いた私は足もみの先生にそのことを相談しました。
そして、先生に腎機能を回復するための重点反射区である腎臓と膀胱の押し方を習い、母の足をおそるおそる押しはじめたのです。
はじめは、効果があるのかどうかよくわかりませんでした。
しかし、1週間、2週間と押し続けるうちに、ほとんど出なかった尿が出るようになってきたのです。
にもかかわらず、透析治療は継続されました。

そして、入院して1ヶ月、肝心のがんの治療はまったくされなかったのです。
7月もおわり、8月にはいろうとしていました。

中国足心道との出会い

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それは、私がまだソフトウェア開発の会社に勤め、ばりばり仕事をしていたころの話です。
コンピュータ相手の仕事は目が疲れます。
肩こりは硬くなりすぎてこりのあることすら感じず、神経の使いすぎで偏頭痛は日常茶飯事、頭痛薬が手ばなせませんでした。

ある日、何かの用事で上司の席に行くと、自分で自分の足をもんでいました。
なにかと思えば、最近毎週、足もみに通っているんだ、とのこと。
足もみ?
いままで、整骨院やカイロプラクティスのお世話になったことはありましたが、足もみは行ったことがありません。
それってどんなものなんですか?と聞いたら、すごくよく効くんだよ、とのこと。
俄然興味がわきました。

さっそく紹介してもらって、自宅から車で1時間弱のところにある足もみやさんに行ってみました。
おそるおそるドアを開けると、物腰のやわらかな年配の男性が対応してくれました。
待合室のような一角に通されて、お茶をすすめられ、まずカルテに記入。
そのころの私の主な症状は肩こり、目の疲れ、頭痛。
男性はカルテを見ながら、このような症状は足をもむことですごく楽になりますよとおっしゃり、足の反射区の図表を指し示しながら丁寧に説明をしてくださいました。

この男性が後々中国足心道の療術資格の取得をさせていただく師範の先生でした。

次にマッサージチェアをすすめられ、足湯のお湯に入れるソルトは何がいいですか?と聞かれました。
そんなこといわれたってよくわからない。
普段からのどが弱いので、風邪の防止などによいというティートゥリーのソルトを入れてもらいました。
たしか、このとき足湯も初体験。

き、気持ちいいーーー。
マッサージチェアの心地よいもみほぐしとあいまって、すでに天にも上る気分。
極楽極楽♪

足湯の後は、ついたてでしきられた個室に案内されて、足もみ初体験です。
まずおどろいたのは、足の指にある目の反射区といわれたところをもまれたとたん、目の前がぱーーっと明るくなったこと!
なにしろ私は目が悪い。(いまでも悪いです)そして、このころは目も頭も極限に疲れていました。
それ以外はあんまり覚えてません。^^;
ふくらはぎの両側の反射区が痛かったような気がします。

終わった後、お茶を出されて飲んで、トイレに何度も行ったのを覚えています。
よっぽど老廃物がたまってたのかな。おしっこの臭いも強かった。
先生には反応がとてもよいと言われました。

そして、家に帰ったら・・・頭が痛くなりました!
でも私にとって、この感覚はなじみのものです。なにしろ、カイロプラクティスに通っていたころは、終わったらいつもこんな感じでしたから。むしろ、単に足をもんだだけなのに、この反応が出たのにおどろきました。
後で先生に言ったら、先生もおどろいていました。

いまとなってはよくわかります。
足もみでそんなに強い反応を起こす人はめったにいません。
でも私はかなり強く反応が出ました。たぶん身体にあっていたんでしょう・・・。
これが、私の中国足心道との出会いの第一歩でした。

プロフィール

はるあき

Author:はるあき
 
中国足心道療術師協会
認定番号775号
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6月生まれのふたご座
AB型ペガサス火星人(^^)

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